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京都の大橋 照幸様はパタンにあるLALIT BIKASH小中学校を再建設するために900万円を援助してくれましたので建設開始は地元の方々のボランティア協力で2005年1月11日にしました。みんなの学校が2005年12月に完成し2006年1月7日に竣工式を迎えました。

学校の変化


再建設前の学校


再建設前の学校


新建築後の学校


新築学校の玄関で建設委員会と大橋さん


再建設前の教室で勉強している


新しい教室で勉強している

 

大橋さんとRK Barahiは地鎮祭をしている 
2005年1月10日

 


学校のプロファイル

学校名  Lalit Bikash Lower Secondary School (ラリタ ビカス 小中学校)
学校設立 1955年(2012ネパール暦)
住所

Kutisaugal,Patan,Lalitpur-8,Nepal.
TEL  : 977−1−5540756

学年 1年〜8年 (小学校5年間、中学校3年間)
学生数 350人
先生数 13人
校長先生 Ms. Dilli Shrestha

 

学校の建設情報

2002年11月にDEVさんに初めて学校に案内してまらう、見ると惨めな学校、爺じいーは何も言えなく学校を去る、その後縁があり京都在住の髭爺は2004年11月25日にLalit Bikash学校訪問、校長先生は学校設立50周年なのにぼろぼろの教室で授業をやっているということで学校を立て直したいいう希望に爺は再建設に援助する約束をしました。約束した3日あと爺の手で地鎮祭を予定してくれて実行した。

2004年11月26日 地域の人々と学校運営委員会の会議を開いて
学校建設委員会設立。
2004年12月29日 古い教室を解体を開始
2005年1月11日 再建設を開始。
2005年12月 建設完成。

 

学校の竣工式 (2006年1月7日)

右から大橋さん、日本大使、建設委員長、大臣
大橋さんは大臣から感謝状をもらっている
大橋さんがスピーチをしている。

 

学校の竣工式に大橋 照幸様のメッセージです。

ナマステ!! 私は大橋バジャーです  よろしく お願いします

昨年4月に学校に来たときにおおぜいの生徒さんから花のだいかんげいと、歌、お芝居、おどり、あり あまりうまいのでプロかなと!!驚きました!! 今でも覚えていますよ縁の始まりは2001年にこの学校の先輩でありますDEVさんにつれられて来ました。それはトタン屋根に草が生え教室は暗く牢獄のように感じました、これが教室かなと!!おどろき 声が出ませんでした?2004年に再度、学校に来て、DILLI校長先生にお会いしましたちょうど50周年で何か記念にと心に思っていられたらしい、バジャーの思いと同じでした。それで小さな種をまきましたそれが今このようにすくすくと育ち非常に喜んでいる次第です、校長先生、建設委員、地域委員様らおおぜいの方々の熱意と,奉仕の心でこんな姿に変身しました。本当にありがとうございました。今後もこの学校を愛して、目を海外の国にも向け、ますますの発展されますよう・・・・また皆々様の健康も合わせてお祈りいたします

ありがとうございました、御礼を申しあげます。
  
2006年01月07日              大橋 照幸

 



学校建設委員会メンバーと先生たちと一緒

地鎮祭終了後大橋さん

竣工式に出席をしている方々と大橋さん

 

学校の50周年のお祝いに大橋さんからのメッセージ

LALIT BIKASH LOWER SECONDARY SCHOOLの新校舎に生まれ変わり、50周年記念誌を発行にあたり本当におめでとうござい
ます、またNEPALと日本と友好関係が結ばれたことも50周年だとききました、あわせてこころからお祝いを申し上げます。
1928年の生まれの男です、年少の頃は体が弱く、中学生時代になってからは健康を取り戻しましたが、戦争で学業もろくにできず、終戦となり
家計は混乱状態、家は貧しく、直ぐに就職し40年間勤め上げ、その間にお金のありがたみが、心からわかり無駄使いせず、お付き合いがなく、つまはじきの状態、それでもお金に執着を持って居りました、定年退職1年前に半身不随の病に倒れ、それ以後家庭と精神が混乱状態で生活しているだけのどん底でした。生きているだけは駄目だと切り替え、気分転換、楽しみ、笑顔を信条に、各国を廻り、異国の風習風俗をこの目で見てきました、また出会いを楽しんでいました。爺ジイーが今あるのは美しくお金を使う場所はないでしょうかとこころに問いかけていました。2001年にMr Dev Lal Maharjanに出会いがありこの学校とお付き合いの始まりは2001年12月に連れらこの学校を見たときにボロボロの屋根、物置のような教室、わが胸を突くものがありました、これが学校か?なんだろうか?その後いろいろなNEPALの各地を廻りましたが、その間学校のことが胸の中にあり、その後寄り道がありましたが不思議に元に戻りました2004年11月8日に校長先生Dilliに面会を求め、あうことが出来、MR Sanu役員さん達と会合をもつことができ、まもなく学校創立50周年になるから何かしたいと、皆様の考えがおなじでした、爺ジイーも日本で言う喜寿の年何か残しておきたいという考えがあり、それが合体し涙が出そうになりました、すごく嬉しかった、新校舎は生徒さんたちの良き環境で勉強が出来、その上に皆様の意見ではこの地域のため、人たちのため、共同利用できる建物としたいと要望がありその費用は000といわれましたが、爺ジイー1人ですることであるから半分の2階までが限度ですと、了解した。
11日に改築工事の開始、起工式すると連絡あり、爺ジイーの耳を疑いました、信じられないまま12日に学校を訪問、すると1m4方を深く穴を掘られてある大勢の方が待っていられました。委員の方と穴の中に入り、神事が始まりました約1時間、爺ジイーの夢がこの日からかなえられる。その後1年学校はどんどんと様相が変わり、Mr Sanu、学校建設関係や皆々様、先生も大変だったとおもわれ心痛だったと思います。出来具合の撮影されたMAILがその都度Mr Premから送られてくる、1階が出来、2005年4月頃に学校のことが気に掛かり面会に来ました、建設業者、建設関係の皆様と話し合い段々と熱意に押され、覚悟を決めて全額爺ジイーが完払することを宣言しました。
なぜか惜しい!!損した!!と言う気分なし!! 宣言したことが清清しい。
生活に潤いがありました、その際に生徒さん達の演芸、歌、踊り、また先輩のプロの民族衣装の民芸を見せていただき古き時代に合えて満悦でした。2004年8月に立ち寄ったときに3階まで出来上がり最後の支払いは何とかなるでしょう、心配していましたがおかげさまで、何とかなりました。
2006年1月に竣工式を迎えられました感極まり声もろくに出すことが困難でした。大臣、政府最高の職の方々、NEPAL在中日本国大使、などご出席で身のしまる感じでした。今後の地域に溶込んだ、地域の学校、話し合いの場、またパソコンによる異国の方と連携が出来ることを望み基礎をがっちりと固めていただくように頑張ってください。 
50周年記念誌"スマリカ"の発刊に際しお祝いを申し上げます。

  2006年2月1日                大橋 照幸

 


竣工式の日大橋さんを歓迎している方々と学生

建設中大橋さん学校訪問際歓迎をする学生

学校建設中2階

                    

 学校建設の写真

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